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2025年7月18日

大学受験専門の校正・校閲舎アカシア編集舎です。
「校正・校閲」という言葉に、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
「誤字脱字を直す仕事」「赤字で修正を入れる人」「出版業界の裏方」
おそらく多くの方が、そのような印象を持っているのではないかと思います。
確かに、それらは間違いではありません。
しかし、私たちが考える「校正・校閲」とは、それだけにとどまらない、もっと深く、そして本質的な“整える”という営みです。
それは、文章が本来伝えるべき価値を損なうことなく、読み手に誠実に届くようにすること。
それは、情報の正確性と信頼性を担保し、書き手と読み手のあいだにある“見えない壁”を、言葉によって解きほぐすこと。
そしてそれは、書き手の想いと読み手の理解が、誤解なく出会うための、言葉の橋を架ける仕事だと、私たちは考えています。
いま、社会には無数の「文章」があふれています。
メール、SNS、広告コピー、ニュース、論文、そして教科書や参考書。
文字を読み、言葉で学ぶという営みは、人間の知性そのものを形づくるものと言えるでしょう。
その中で、私たちが向き合い続けているのは、「教育」という分野における言葉です。
参考書や授業プリント、模擬試験や入試問題、学術原稿や教育関連書籍
一つひとつの文章が、学び手にとっての「知の入り口」になりうる領域。
だからこそ、その文章の正確さ、論理性、読みやすさは、未来に直接影響すると、私たちは考えています。
校正・校閲とは、知を届けるための最終工程
教育における文章は、単に「読むもの」ではありません。
それは、「理解されるべきもの」であり、「知識として身につけられるべきもの」であり、
ときには「進路や人生を左右する判断材料」として機能します。
とりわけ、私たちが校正・校閲を手がける「入試問題」や「参考書」の原稿には、
一字一句の誤りがそのまま受験生の命運を分けるリスクさえ伴います。
・問題文中の“1”と“l”の違い
・図の矢印の向きの誤り
・選択肢の表現の曖昧さ
・解説と正答の不一致
これらは、すべて学び手に誤った理解を与える原因となります。
知識を正確に伝えるはずの教材が、もしもその責任を果たしていないとしたら――
学ぶ者にとって、それほど不誠実なことはありません。
だからこそ、校正・校閲者の仕事には、教育的責任が問われるのです。
誤字脱字を直すだけでは、校正とは言えない
世間ではまだ、「校正=誤字脱字を直す仕事」という印象が根強く残っています。
しかし、教育・学術分野の文章において、本当に求められるのは、
言葉と知識の整合性を保ち、読者の“理解”までを整える力です。
たとえば
• 理科の参考書で、「質量」と「重さ」の違いが曖昧に使われている
• 英文問題で、設問の主語と選択肢の文法構造が一致していない
• 生物の模試で、「酵素」と「補酵素」の区別が曖昧な説明になっている
• 社会の問題で、複数の設問に同一選択肢が使われており整合性が取れていない
このような不備を見逃すことは、単なる「印刷上のミス」とは違い、
学びの誤解を生み、思考の土台を揺るがすリスクを含んでいます。
だからこそ私たちは、専門知識と読解力、論理的整合性の検証、そして読み手の理解までを見通した目で、文章に向き合い、「内容」「表現」「形式」のすべてを横断的に整えていくのです。
「読みやすい」ことは、「理解される」ことに直結する
教育における文章の使命は、知識や情報を「正しく伝える」ことだけではありません。
それ以上に重要なのが、「読者がスムーズに理解できるかどうか」です。
文が長すぎる、語句が難しすぎる、語順が不自然、読点の位置が悪い
こうした細部の“読みづらさ”が、読者の理解を妨げる原因となります。
特に、受験生や高校生のように、限られた時間と集中力の中で多くの情報を処理する読み手にとっては、
わずかな表現のズレや曖昧さが、大きな読解の負担につながることがあります。
そのため私たちは、ただ正しいだけでなく、「読みやすく」「わかりやすい」文章を追求します。
• 同義語の使い分け(例:「要するに」と「つまり」の違い)
• 主語と述語の距離を縮める構文の調整
• 文脈上の語句の省略や挿入
• 適切な改行や行間、箇条書きの整備
こうした“文章の肌ざわり”を整える作業は、目立たないものかもしれません。
しかし、それが結果として読者の理解を助け、学びの質を高めるのです。
文章に宿る「思想」と「信頼」を守るために
入試問題や参考書は、単なる情報の集合ではありません。
そこには、設問をつくった出題者の意図、教材を書いた著者の思想、
出版社や教育機関の教育的信念が込められています。
私たち校正者の役割は、その想いや意図を損なわず、読み手に誠実に伝えることです。
そのためには、ただ機械的に間違いを探すのではなく、「なぜこの言い回しなのか」「どうしてこの設問構成なのか」といった、
文章の背後にある考え方にまで想像力を働かせる必要があります。
また、教育関係者や編集者が信頼を置いて私たちに原稿を託してくださるということは、
その“言葉の完成度”において、最終責任を共に背負うということでもあります。
校正・校閲者は、文章の最終確認者であると同時に、
教育に関わるすべての文章が「信頼される知の媒体」であるための守り手でもあるのです。
学びを支える“裏方”としての誇り
私たちの仕事は、表に出ることがほとんどありません。
それでも、誤りをひとつ未然に防いだことで、
ひとりの受験生が問題を正しく解き、合格へとつながるかもしれない。
解説文の語順を整えたことで、
ひとりの高校生がその単元を本質的に理解できるようになるかもしれない。
その“かもしれない”に賭け続けるのが、校正・校閲者という仕事です。
目立たないけれど、確かに誰かの学びを支えている。
そんな“静かなる誇り”こそが、私たちの原動力です。
校正・校閲の文化を、教育の未来へとつなげるために
校正・校閲という文化は、これまで出版業界の中だけで育まれてきました。
けれども、これからの時代、すべての人が文章を書き、発信する時代になります。
そして教育の場でも、「生徒に伝わる言葉」「誤解のない資料」「正確な知識の表現」がますます求められるようになるでしょう。
私たちは、これまで培ってきた校正・校閲の視点と技術を、もっと開かれたものとして社会に提供していきたいと考えています。
• 教材制作に携わる先生方への校正サポート
• 出版社・教育機関向けの文章研修
• 教育現場向けの「書き手・読み手に優しい文章」指導
• 一般向けの「読みやすい日本語」発信活動
校正・校閲の力は、「文章」だけでなく、「教育」そのものの質を高める可能性を秘めています。
そしてその先には、きっと「よりよく学ぶ社会」「よりよく伝える文化」があるはずです。
最後に
校正・校閲者は、最後の読み手です。
そして、最初の読み手でもあります。
一通り原稿が完成し、編集者の手を離れたあとに、
それが「学び手にとって価値ある文章であるか」を最終的に確認する――
それが、私たちの役割です。
言葉の不備を整え、理解の妨げを取り除き、思考の筋道を見通しやすくする。
私たちは、校正・校閲という営みを通して、学びの「土台」をつくっているのです。
あなたの手元にある原稿が、
誰かの学びに寄り添い、未来をひらく言葉となるように。
その一助として、私たちにできることがあれば、いつでもお声がけください。
校正・校閲の力で、教育の信頼を。
校正・校閲の視点で、未来の学びを。
株式会社 桜芽会
代表取締役 橋本崇樹